母の17回忌に思う

 父は大正3年生まれ、母は大正6年生まれでした。父が42歳で母が39歳の時の子供として生まれました。令和の時代なら普通にある状況ですが、昭和の中頃としては父母共に高齢出産ですね。この写真は3枚目は結婚式の様子、二枚目は第二次世界大戦の時の様子、初めの写真は昭和の中頃の自宅での様子です。

 父母が結婚してから、8年目に長女が誕生しまして、10年目にして長男の誕生しましたが、長男は小学校の1年の時に海水浴に出かけておぼれてなくなりました。その1年後に縁あってこの世に生まれてまいりましたのが、サンミサキの渡辺健人でございます・・・結婚後18年目に縁あって生まれてまいりました。

 つまり、兄が亡くならなければ、生まれてきていません・・・複雑な心境でした。何か重たいものを背負っている感じで50年間を過ごしました。私が生まれる前の1年間には兄と祖母と祖父と亡くなり、母方の祖母も亡くなりましたので、4方の50回忌法要をする事ができまして、少し肩の荷がおりた様な気がしました。

 その当時は・・・ギャグにありますような〝背負い投げ~”できるような時代ではありませんでした。還暦を過ぎまして更に気が楽になりました( ^ω^)・・・生まれてきてよかった~まるもうけやで~ラッキー!!…

 90歳を迎えて母はなくなりましたが、大事にしていたのが薬草でした。なかでも自宅の庭で大事に育てていましたのが〝なるこゆり”です…生薬名は、黄精(おうせい)と言います…効果は精力増進の強壮・強精です。

 思えば、中耳炎になった時に…雪の下をもみそのしぼり汁を耳に入れて治してもらったり、手にしばがささりました時には、しば取り草を塗ってもらい、しばらくすると…刺さったしばが抜け出てきました。先祖代々庭に薬草を植えてありまして、お庭は薬箱にしてありまして、いざという時に備えた疾病予防の目的です。

 そして、還暦を過ぎましてからハマりましたのが民間薬民間療法で御座います。ドラッグストアで薬を学び漢方薬の効果効能と生薬に魅せられて、退職しまして薬草の活用と生薬の活用をしたくて野草茶の製造小売を始めております。・・・30年後の将来の夢は製薬会社になり社会貢献をすることです。

 本当に、尊い命を頂くことはありがたいことです。感謝を忘れずに日々過ごしていきたいものです。御縁ある皆様に対し感謝して合掌いたします。 有難う御座いました・・・これからも精進してまいります。サンミサキ